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2025/08/09

【旅の答え合わせ1】2025年、ペナン島での答え合わせ

   ----スケジュール-----

08/09(土)    NH885 HND23:30 - KUL06:00(+1)
08/10(日) MH1138 KUL08:05 - PEN 09:05
                        ペナン泊(Cititel Penang Hotel)
08/11(月) ペナン泊(Cititel Penang Hotel)
08/12(火) バターワース泊(Crowne Plaza Penang Straits City)
08/13(水)    クアラルンプール泊(Holiday Inn Kuala Lumpur Bangsar)
08/14(木)    クアラルンプール泊(Holiday Inn Sepang - Airport)
08/15(金)    NH886 KUL14:15 - HND22:15

 

旅の答え合わせ:ペナン島

1993年8月(32年前)初めて東南アジアに旅行に行った際、 タイ→マレーシア→シンガポール ✈ タイ のマレー半島を横断を行った。当時沢木幸太郎の「深夜特急」が流行っており、東南アジア編でタイからシンガポールまで移動する内容が記載されており、マレー半島を列車で下ることを考えた。


タイのバンコクからハジャイ(HAT YAI )まで寝台列車で向かい、ハジャイから乗り合いバスでバターワースへ国境越えを行う。 バターワースからペナン島に渡り、2~3日滞在後バターワースに戻り、バターワース→クアラルンプールへ列車で移動。クアラルンプールで2~3泊してクアラルンプール→シンガポールへ列車で移動。シンガポールからは✈でバンコクに戻るスケジュールで旅をした。 当時の写真がなくなっていたが、当時のガイドブック「地球の歩き方」が残っており、その本の間に当時のチケットなどが残っていた。 ガイドブックを見ながら当時旅で訪れた史跡・ホテル・街・食事などがどう変わってきたか?(変わっていないか)などを思い出しながら再訪による『旅の答え合わせ』をしてみることにした。(答え合わせの回答・考察は最後に記載


2025/08/09(土)

マレーシア発券での夏休みにマレーシアに向かう。今回はクアラルンプール国際空港からペナンに飛んでペナンから鉄道でクアラルンプールに戻る旅行となる。

朝KUL→PENの乗り継ぎで2時間しかなく間に合わないかもしれないと心配になっており、乗り遅れたことを想定して8/10の料金をマレーシア航空Webサイトで確認した。8:05便の後の11:30便でこれなら絶対間に合うので一安心。また購入しているチケットは変更可能なので便の変更も考えたが当日変更の金額と新規購入金額があまり変わらなかったので当日乗り遅れたときに考えようと思い変更をやめた。

羽田空港には18:00ごろ到着。ANAのチェックインカウンターの場所が変わっており、またグランドスタッフの数が削減されていたので戸惑った。(ビジネスクラスのカウンターが以前は5名ぐらいいたが2名で対応)

Webチェックインすればよいのだが座席変更がWebからではできずチェックインカウンターで変更依頼とPENへのスルーチェックインが可能かのお願いした。マレーシア航空はスターアライアンスではないのとチケットを別切りでの購入しているため乗り継ぎをつなげるのは難しいのだが、グランドスタッフの方が対応してくれた。

座席も窓側のシートを倒せるところに変更してもらった。

ANALoungeは相変わらず混んでいた。シャワーの依頼をすると24時間前に予約可能とのことで3時間待ちと言われたが23:00発なので問題なくお願いした。


22:00にシャワーを浴びてすっきりして23:00ゲートに向かうとき材遅れのため20分遅れるとのこと。23:30ごろ出発。機内で食事があったが眠かったので食事をとらず出発が遅れた割には定刻通り6:05に到着した。


2025/08/10(日)

KULに到着してサテライトからバス移動かと思ったらエアロトレインが動いており、到着ゲートからすぐにエアロトレインに乗り込むことができ、また到着すると国内線乗り換えがすぐわきにあって入国審査も事前にMDACの登録しているので、無人の電子入国で乗り継ぎも簡単であった。
KULに着いて30分ぐらい国内線に到着。ゲートが変わっているようなので新しいゲートを確認し、MHのラウンジを見つけたので入った。
国内線なので食事はないと思っていたが思ったより充実していた。(エアアジアにしなくてよかった!)


7:15にゲートに向かう。7:30から搭乗開始で無事にMH1138PEN行きに乗ることができた。PEN行きの機内は結構混んでいた。約40分でPEN空港に到着する。

空港に着くとなにもチェックがなく空港の外に出ることができた。

市内に向かうバスを探す。ジョージタウンに向かうには1タクシー、2Grab、3バスのどれかになる。時間は有り余っていたのでバス移動とする。

バス停を見つけるも何台か通り過ぎジョージタウン行きのバスがなかなか来なかった。30分ぐらいたってバスが到着。2.7RMだったが小銭がなく3RM払った。バスは約40分でコムタに到着。地図を見ながら本日泊まるCititel Penangに向かう。Cititel Penang Hotelは大きかったのですぐに見つけることができた。11:00にチェックインできると思ったが部屋の準備ができていないと言われ、街を探索することにした。

Lebuh Campbell通り向かった。昔のガイドブックを見ながら1993年に訪問した記憶の答え合わせ行った。

ガイドブックに記載の「杭州ホテル」は当時のままのようであった。当時はこのあたりのホテルに泊まったと思うが、残念ながら資料がなく分からなかった。

遠東ホテル、南天ホテルは無くなっており、スイスホテルは当時の元かわからないが残っていた。また当時はバターワース→クアラルンプールの列車のチケットを旅行会社「Ansar」で購入(レシートあり)したが見つけることができなかった。

ガイドブックにマーキングしていた大東酒楼はあった。
一度ホテルにチェックインできるか確認するために戻ったがあと1時間ぐらいかかるとのことで昼食も取っていなかったので再び大東酒楼に向かった。店の中の雰囲気で初めて飲茶というものをここで食べたことを思い出した。




今回焼飯と豚肉と餃子を頼んだ。


チャイナタウンを通りコムタに向かった。当時はコムタは混みあっていあたが今はゴーストタウンみたいな感じであった。その時あった日本時のおじさんがコンビニで勝手にジュースを飲みだしレジで空き缶を見せて支払っていたのを強烈に覚えていた。

ホテルに戻りチェックインをして朝も早かったので部屋でひと眠りする。夕方17:00にになったので夕食を取りにチャイナタウンへ向かった。Kimberley Street Food Night Marketというところにある屋台に行列していたので並んで購入してみた(9.5RM)。



ホテルに戻り、購入した焼きそばらしき食べ物を調べたらペナンで有名なB級グルメ「チャークイティオ(炒?條)」という米粉のそばを炒めた麺料理と知った。ちょっと焦げた香ばしい味でもちもちした麺の触感にはまり、ほとんど毎日食べていた。

この屋台以前にも来ていると思い出した。当時はまだこのあたり舗装されていなくて雨が降ると水溜りができていた。この屋台で食べた記憶がよみがえってきた。

部屋でチャークイティオを食べて就寝。


2025/08/11(月)

ホテルの朝食がないので機内でもらったパンを食べ、「さて今日はどうするか?」と考えた。せっかくなので前回しなかった観光をしようと思い「ペナン・ヒル」に向かうことにした。

ペナンヒルまでのバスを調べると204のバスがペナンロード(ホテルの前の道)にバス停があるのでこのバス(3RM)を待って乗った。バスに乗り込んだら急に土砂降り雨となった。約50分でペナンヒルに到着。
雨は小雨になっていたがまだ降っており、ケーブルカー往復30RMでチケットを購入。天候のせいか、すぐにケーブルカーに乗ることができた。乗り込むまでに40分ぐらいかかったがケーブルカーの乗車時間は10分ぐらいで頂上に到着。頂上は真っ白で景色が何も見えない。


空が明るくなってきて隙間から反対岸のバターワースを見ることができた。山頂を一回り1時間ぐらい滞在して下山した。次回は晴れているときにリベンジだなと思った。




下山して30分ぐらい待っていると204のバスが来たのでそれに乗ってジョージタウンに戻った。コムタ当たりで下車してホテルに一度戻った。


チャイナタウンは曇っていたが雨が降っていなかったのでチャイナタウンめぐりをすることにした。

世界遺産にもなっているので古い建物が残っておりカフェやレストランにリノベーションされていた。また壁のアートが有名らしく「自転車に乗る子供たち」の周りは人だかりができていた。




一度ホテルに戻りシャワーを浴びて17:00ぐらいになって昨日夕食で食べた「チャークイティオ」の屋台に行った。準備中であったので屋台の席で食べると言ったらチャージがある(飲み物を購入しないといけないようだ)とのことで、テイクアウトしてホテルに戻った。

途中エッグタルトを食べたくなってお店を探したが見つからずあきらめた。


2025/08/12(火)

朝食をとりに7:00ぐらいから開いているチャイナタウンに向かった。Chowrasta Marketの裏にあるお店に行った。昨夜このあたりで夕食を取ろうと思ったが閉まっていたので再訪。チャークイティオと書かれた屋台があったので頼んで席に座っているとチャージがあるのとのことで仕方なくインスタントコーヒー(1.5RM)を頼んみ飲茶もあったのでカニ詰めを頼んで食べた。ここのチャークイティオ(6.5RM)も香ばしく?はもちもちで昨日の屋台より少し安く美味しくいただいた。


その後ホテルに戻り10:00にチェックアウトしてフェリー乗り場まで徒歩で向かった。今日は晴天で暑く30分徒歩移動はしんどかった。

フェリー乗り場は昔と変わっていないようだが、ほとんど覚えていなかった。乗り場の入り口でタッチ決済(2RM)で乗り場に入り、少し待つとフェリーが着きバイクが先に乗り込みその後に乗客が乗り込む。




香港のスターフェリーを思い出し、20分ぐらいの船旅でなくならないでほしいと思った。


12:00過ぎにバターワース側の港に着き、明日のKUL行きの列車のチケットを購入するために駅へ向かった。

道なりに進んでいくと駅の改札口があり、チケットを購入しようと思ったら窓口に誰もいない。チケットは自動券売機のみの購入(またはWeb購入)のようである。

操作方法が全く分からなかったので近くにいた係員にお願いして全て操作をしてもらった。無事明日のバターワース6:30発クアラルンプール10:35着のチケットを購入することができた。

昔は13:00発でクアラルンプールへは夕方着の便を利用したが今回は早朝の便でクアラルンプールへ向かうことにした。

本日泊まるクラウンプラザホテルに向かう。日陰のない暑い道を30分ぐらい歩いて到着。ホテルの周りは何もないところにポツンとあった。

チェックインして部屋に入り暑かったのでホテルのプールに入った。ここから海峡越しのジョージタウンが一望できて、景色がとてもよかった。
15:00ごろに夕食のレストランを探しにホテルの近くを探索する。ヒルなので閉まっている店が多くパン屋を見つけたので明日の朝食用にパンを購入しホテルへ戻った。

18:00ごろに改めてレストランを探しに探索したのだがなかなかレストランが見つからず中華屋があったので焼飯を食べようと思って頼んだのだが五目ライスのようにライスの上に野菜炒めがかかったものが出てきた。ほとんど野菜を食べていなかったので良しとした。(味はそんなにおいしくはなかった)


ホテルに戻り明日は4:00起きなので早めの就寝とした。


2025/08/13(水)

4:30ぐらいに起床。シャワーを浴びてパンを食べて5:15ごろチャックアウトしてバターワース駅に向かう。昨日購入した場所なので道はわかっており、ほとんど車が走っていない暗い道を徒歩で5:45ごろ駅に到着。 改札口でチケットのQRコードをかざしてもゲートが開かない。どうやら出発の30分前にならないとゲートが開かないらしい。6:00になったらゲートが開いて中に入ったら今度はホームにいけない。15分前でないとホームに行けないようである。6:15になったら係員がきて鎖を外してみなホームへ向かった。E13Aの席を探して列車に乗り込んだ。シートを見たときに「しまった!」と思った、シートが固定で進行方向と逆向きのシートであった。ま、昨日係員にチケット購入をすべてお任せだったので仕方ないが・・・。




列車は定刻通り出発。当時の記憶が全くない。ただ列車の車窓の風景がタイは熱帯地域特有の高いヤシの木の中を進んでいてマレーシアは背の低い木になったなーということを思いだした。 4時間の列車の旅。途中うたた寝していたのであっという間にクアラルンプールに到着した。時間も10:35と定刻通りで正確であった。 KLセントラルに到着し、すぐに盲目マッサージ店に向かう。 クアラルンプールに来る目的の一つになっている盲目マッサージ。値段は1時間60RMであるが、とても気に入っている。 相変わらず足腰の痛いマッサージだけと病みつきになる。 12:00ぐらいに終わりHolidayInnへ向かう。徒歩で30分、12:30ごろホテルにチェックインしアーリーチェックインをお願いしたが部屋の準備ができていないと言われ、荷物を預かってもらいMid Valley Megamallへ昼食を鳥に向かった。到着してまずは両替。ここはレートがよくKLセントラルの両替所よりもよかった。20,000円両替してレストラン街で食事をしようかと思ったが食べたいものが見つからず、イオンのお弁当でナシゴレンを購入して食べた。 エッグタルトとシュークリーム、スライスマンゴーを購入(20RM)してホテルへ戻った。朝早かったのでホテルでウトウトしていたら夕方になっていた。 夕食をどこで食べようか?と思って「Bangsar Village」に向かった。 レストランもこれとったところが見つからずKLセントラルに向かう。 行きたかったクライポットライスの屋台が閉まっていたので途中にあったドミノピザでLサイズ(半額になっていた25RM)を食べてホテルに戻った。
2025/08/14(木)

夕方までクアラルンプールにいる予定でレイトチェックアウトを16:00でお願いしたが14:00までと言われたので、お昼ぐらいに移動することにした。 8:00ぐらいに起床し昨日の残りのピザを食べてウダウダしていたら10:00ぐらいになってしまった。 11:00にチェックアウトして昨日行った盲目マッサージ店に向かった。


平日のAMだと割引になる(1時間60RM→48RM)ので1時間をお願いした。13:00にKLセントラルに到着してKLIAエクスプレスでSalak Tinggiへ向かう。HolidayInnまで暑い中25分歩いて向かう。 途中ショッピングモールで涼んでホテルに向かった。 ホテルにチェックインしてショッピングモールに戻りRotiboyでパンを購入。ホテルに戻りプールでも入ろうかと思っているうちに18:00になってしましった。 夕食はホテルの前に屋台が並んでいたのでここでチャークイティオ(5RM)が売っていたのでこれとケバブ(8RM)を購入してホテルで食べて就寝。

2025/08/15(金)

あっという間のマレーシアの旅。 14時発NH886便なので10:00ぐらいまで部屋でゆっくりしていた。10:30にチェックアウトして11:00のエアポートバスで空港に向かう。 今までは6:00~21:00まで1時間おきにバスがあったが変更され昼間の間は2時間に1本に変更となっていた。 11:30に空港に到着、ANAのカウンターでチェックインし12:00にはMHのラウンジに到着していた。13:30までラウンジで食事をしてNH886のゲートに向かう。クアラルンプール国際空港はゲートの前でセキュリティチェックがあるので少し時間がかかるので早めにゲートに向かう。 NH886は満席で隣が大柄だったので非常に窮屈であった。 22:15定刻通り羽田空港に到着し、いつものルーティーンでシャワーを浴びて22:50の京急電鉄で帰路に着いた。



★★★考察:旅の答え合わせ★★★ 当時泊まったホテルは分からず、周辺は何となく覚えていた。

当時の「地球の歩き方」ペナン島地図

ガイドブックに記載の杭州ホテルは存在していた

ガイドブックにメモした大東酒楼は存在、当時もここに飲茶を食べに来たと思う。


コムタは寂れており、1階のスーパーはなくなっていた。ここで会った日本人は買う前にジュース飲んで空缶をレジで支払をしたインパクトのある思い出がいまだに残っている。

当時のマレー鉄道の時刻表。
当時のマレー鉄道の時刻表

当時はバンコクからハジャイまでマレー鉄道で移動。タイ→マレーシアの国境は乗り合いバスで越える。バターワースまで行き、ペナン島へ渡る。
当時はペナン島でバターワース→クアラルンプールのマレー鉄道のチケットが購入できた。

当時のバターワース→マレーシアのチケット
今回のバターワース→マレーシアのチケット
料金が34→92MYRと約3倍(当時は2等だったので一概に比較できない)。
また時間が約8時間→4時間と半分となっている。

ペナン島で購入した航空チケット。当時ペナン島は格安航空券の販売で有名であり、シンガポールからバンコク行きのチケットを購入。現在購入した旅行会社は存在せず。
当時クアラルンプールで泊まったYMCAは現在存在せず、別の場所にあった。
約30年で変わったところ変わらないところがあった。ペナン島はだいぶアート作品の島になったように感じたが、古き良き時代の雰囲気が残っており、滞在しやすい場所であった。


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